ストリートダンス史:80年代

80年代初期、ヒップホップ・カルチャーを題材にした映画が何本も制作され、世界の若者の心をつかむ。メディアは街角から発生したヒップホップをストリート・カルチャーとも表現した。脚光を浴びたヒップホップは活動の場を変化させる。街角のアンダーグランド(裏舞台)からメインストリーム(表舞台)へと…。
 続々と登場するラップ・アーティストはヒット曲を量産、DJは街角からスタジオへ移動して広く音楽制作に関与していく。これまでスプレー缶による落書きとされていたグラフィティは芸術として画壇/アートシーンで語られるようになる。
 そして、ブレイクダンサーたちとダンスは、テレビやスクリーン、舞台でも見られるようになった。
 そうした80年代の中頃、ふたつのダンスミュージック・スタイルが生まれる。
 アメリカ/シカゴのDJが70年代フィラデルフィア・ソウルのリズムをヒントに、腹に響く重低音ビートを延々とループさせた。いままでとは違うダンス感性を刺激するハウス・ミュージック(House Music)はすぐにニューヨークのダンスクラブにも飛び火して、世界へと広がる。
 そして、10代の若い力が新しいダンス・グルーヴを生み出す。それが歌とラップを融合させたニュージャック・スウィング(New Jack Swing)。軽快に弾む16ビートが心地よいニュージャック・スウィングのサウンドは世界のヒットチャートをジャックする。
 日本も例外ではなかった。
 80年代後期の日本、ダンスが上手な歌手のボビー・ブラウンとラッパーでダンサーのMCハマーが大人気に。とくに彼らのダンスとファッションに注目が集まった。若者たちのライフ・スタイルにも大きく影響してダンスブームを引き起こし、ダンスが競われるテレビ番組も人気になってダンス人口を急増させる。
 だが、このニュージャック・スウィングという呼称が定着するのは90年代初めになってからのことだ。それまではラップのヒップホップと歌のソウルを合わせてヒップホップ・ソウル(Hip Hop Soul)とも呼ばれていた。このこともありカルチャーのヒップホップとは別に、こうした音楽で踊るダンスのことをヒップホップ・ダンスと呼ぶ人が増えていく。それがそのまま浸透し、現代のヒップホップ・ダンスに至っている。